旅人教師@アジ亜太郎

道があるなら陸路で行こう。 ~貧乏人の一人旅~

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1990年代インド5 一人旅 ~インドで、初めて優しいインド人と会う~

2月20日(木)  インド二日目。

昨日の夜のお疲れの一件も、日が昇ると薄れ、目の前にインドの現実が迫ってくる。

夜は、宮原くんと二人でいろんな興奮を語っていた。

 

俺は、コンノートプレイスを目指す。

途中、よーさんのインド人が寄ってくる。

とてもすごい数の人だ。昼は人が多い。

みんなめちゃめちゃクラクション鳴らす。

この国の信号はほとんど守られていないようだ。

 

コンノートの手前まで、宮原くんと別の目的を持っていたので別れることにした。彼にはいろいろと世話になった。人口7億人の国。もう彼と会うことはないだろう。お互いの旅の幸運を祈って別れた。

 

辞書紛失!?ホテルのインド人に頼ると。

出発前にそうちゃんにもらった辞書がカバンのなかにない。

ホテルに戻ってインド人に「部屋に忘れ物はなかっったか?部屋に辞書を忘れた。探させてくれ。」と伝えた。

すると、「100Rs払え」と言ってきた。

めちゃいけずで人間不信におちいる。

大切な辞書だ。

「学生に辞書は必要だ。だから頼む。」と言うが、

「No chance!」と。

受け合ってくれない。泣きそうだった。そこのホテルで、昨夜知り合って少し話していた日本人学生に相談してみると、いろいろと助けてくれた。お金を払って部屋を探すより、もう一度バックパックの中を探した。

結局カバンの一番底から辞書は出てきた。大荷物で気づかなかった。

このときのインド人の対応、日本とのちがいはまだ若い自分にとっては「ガーン」というショックを与えた。

そうかー。インドがふつうなんやな。日本が、丁寧過ぎるんや。

そう考えるようにもした。

 

コンノートプレイスに到着した。

耳かき屋のムビーンを探すが、どれがムビーンかわからない。

あとでわかったが、耳かき屋と聞いて耳かきを売っているのかと思っていたが、「人の耳を掃除する仕事」だった。そんな仕事もあるんか。と思ったが、2010年を過ぎたくらいから、日本でも見かけるようになった。

住所を頼りにムビーンを探そうと歩いたが、まったくわけがわからん。

すごい渋滞、車の往来でひかれそうだ。2時間ほど歩いて、コンノートにもどった。

 

しばらくボーッとしていると、またインド人が話しかけてきた。

もう頼るものもないし、知り合いもいないし、まだまだ旅を楽しめるところまで行っていない。

海外の一人旅で何をしないといけないのかもわからなくなってきた。

もう、帰りたい気持ちになってきた。

話しかけてきたインド人に「こいつを探しているんや。」という感じで、ムビーンの写真を見せてやった。

するとそいつは、知り合いだ、と言う。

名前も言っていないのに、

「ムビーンか。」と言いよった。

「いつもいるところに連れてってやる。」と言ってつれていってくれた。

その人は話の内容が他のインド人より客観的な感じがした。

ぼくは好意を持ってついていったら、なんだか涙が出てきた。

誰も頼る人がいない。

誰に話してもだまされる。

この国で優しい人に出会う。すごい感動した。

ほかのインド人が、泣いている俺に

「Are you all right?」

と言ってくる。

なぜか、涙が止まらないわ。

二十歳になったけど、全然独りで生きていけないんやんけ。たとえどこで生きていこうとも。

なんか単純なことやけど、恥ずかしいくらい感動して。思い知らされて。

 

でも、ムビーンはこの日は来ていなかった。

明日来るらしい。

少し、光がみえてきた。

 

しかし、ホテルもチェックアウトしたし。

この日はどこに泊まろう。

なんて、そのときまったく考えてもいなかった。

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