旅人教師@アジ亜太郎

道があるなら陸路で行こう。 ~貧乏人の一人旅~

MENU

1990年代インド12 一人旅 ~当時のパリカバザール~

2月22日(土)

 

パリカバザールには、この日初めて来た。

 

 

コンノートプレイスの地下にある、マーケットだ。

 

ここは、エアコンが完備されていて、外の暑さをしのぐにはありがたい場所だ。

 

 

インドで、エアコンがついている所は、この時代ほとんどなかった。

 

ホテルでも、ファン(扇風機)付とエアコン付きで値段が何倍も変わる。

 

だから俺は、最後まで、結局エアコン付きのホテルに泊まることはなかった。

 

 

 

パリカバザールに入るには、入り口で手荷物検査を行う。

セキュリティーチェックがあり、エアコンが効いている。

 

マーケットには、電化製品や衣料品など、きれいな製品が売られており、全体的な印象としては、敷居の高いモールのようなイメージだ。

入り口の印象からは、地下にこんな巨大なマーケットが開けているとは、想像もできなかった。

 

パリカバザールは、

外で、暮らしている庶民の生活は、このようないくばくかの高級感とは離れたところにある。

 

ここに入ってくることは、少ないだろうと想像する。

 

案の定、ここには物売りや物乞い等、買い物をする気が無い者は入ってこれないようになっているらしい。

 

 

でも、何かうさん臭さも感じる。

地下ということもあり、光も薄暗い。

 

パリカバザールでも、警戒心は残ったままカメラを購入した。

 

 

この日は、アルトゥのオートリクシャでデリー市内を回った。

 

インド門、クトゥブミナール、そしてなぜかここまで来て「動物園」に連れて行ってもらった。

 

なぜ、インドで動物園。日本でも見れるんちゃうんか。

 

と思った。

 

 

 

1990年代インド11 一人旅 ~パリカバザールでカメラを購入~

1997年 2月22日(土)

インドの夜は黄色い。

日本の夜の電飾は、赤や青や黄色や白、緑、オレンジなど、色とりどりだ。


電飾の色の数が多く、夜の景色は華やかに見える。


高いところから、町を見下ろすといわゆる「夜景」は、宝石でもちりばめたように色鮮やかに輝きを放ち、輝きの中に吸い込まれていきそうな錯覚も芽生える。

 

 

六甲山から阪神地域の夜景を眺めたとき、

神秘的な輝きの奥に住まう人々の生活にいささかのロマンを感じ、

「エジソン博士はすげえなー。」と偉大な発明に敬意をもったもんだ。

 

そんな鮮やかな電飾はここにはない。

 

インドの夜は黄色い。

 

黄色い灯りが、その勢いも弱々しく光を放っている。

 

デリー上空に到着した飛行機の中から、町を見下ろした時、おれは、まだデリーに到着していないと思った。

 

首都の町が、こんなに暗く、

しかも黄色やオレンジの弱々しい電飾だけなわけがない、と勝手に思い込んでいた。

 

 

東京や大阪のような、眠らない繁華街の町をイメージしていた。

 

飛行機が着陸態勢に入ったので、「いったいどこに着陸するつもりや?」と一人不安を感じていた。

 

まさに、そこがインドの首都、デリーだった。

 

 

上空から眺めた黄色い町。

 

本当にここに降りるのか、と着陸前に不気味さを感じたのを覚えている。

 


デリーのツーリストキャンプも、ろうそくの光のような色のランプが敷地内にところどころ設置され、宿泊施設とはいえ、暗い場所の方が多かった。

 

おれはシャワーだけ浴びて、自分の部屋にこもり、ベッドに横になった。

 

インドに到着してからのことを考える間もなく、すーっと眠りについていた。

 

 

この時は、まだ感じていないが、

いや日本に帰るまで気づかなかったが、インドの生活はその国民性からか、

 

適当なことが多く、楽だ。

 

楽だが、緊張する。

 

そう、楽なように見えて緊張するのだ。

 

日中、緊張感があるせいか、

 

あっという間に眠りにつける。

 

俺は、ほんの数日で疲れていた。

 

しかし、それを自覚したのは、帰国してからだったが。

 


翌朝9時に、ムビーンとパプーが俺を迎えに来てくれた。

 

今日はデリーの観光に連れていってやる、と言う。

 

なぜ、この二人が初対面の俺にこんなに世話をやいてくれるのかわからない。

 

ただ、知り合いの友達というだけで、そこまで親切にできるのだろうか。

 


この日の朝食は、また、ムビーンの家でいただいた。

 

ムビーンに会ってから、空腹感がない。

 

常に、食べるものをくれる。

食事は腹いっぱい食べさせてくれる。

途中にも、ピーナッツや果物、名前のわからないけったいなお菓子のようなものもくれる。

 

ムビーンのまわりのインド人たちもいろいろな食べ物をくれる。

お腹がいっぱいのときは、断るのに困ることもあった。

 

しかし、これは俺の旅のパターンで。

 


インドでは、

 

見知らぬ人から食べ物をもらうのは注意が必要だ。

 

特に、電車やバスの中で、女性一人で食べ物をもらったときは、その乗り物を降りるまで、口にしない方がいいという。

 

食べ物には、いろいろな物を混ぜることができる、と言われている。

大丈夫だ、という確証がないときは、無防備に人から食べ物をもらって口にするのはやめた方がいい。

というのが通説だ。要注意。

 


ムビーンの家で朝食を食べ終えるころ、一人のインド人がやってきた。

 

アルトゥ(仮名)、というオートリクシャの運転手だ。

 

アルトゥは、英語が話せないので、俺とのコミュニケーションは難しかったが、オートリクシャの運転手で、こんなにいい奴は会ったことがない。

 

なんとも俺のことを気遣ってくれる、親切な人だった。

 

アルトゥのオートリクシャに乗って、俺たちはパリカバザールに行った。

 

パリカバザールで、カメラを買うためだ。

 

俺のカメラは大人気のため、フィルム枚数残り6枚になっていた。

しかも使い捨てカメラ。


もーカメラがこんなに人気あるねんやったら、カメラごと買ったるわい、ということでカメラを買いに行った。

 

ペプシコーラ屋のパプーが、ペプシコーラ屋だけでなく、
パリカバザールでカメラ屋も経営しているらしく、パプーの店でカメラを買った。

 

パプーは、いつも暇そう?にしていたが、経営をしている人なのだろうか?

 

疑問は残るが、

 

インド製のカメラ、

フィルム付きで、約4000円。のものを買った。

頑丈そうで、わりと使えそうだった。

 

使い捨てカメラが、一台1000円ほどだから、カジュアル本気カメラとしてはお手頃だろうか。

 

そして、カメラを手に入れた俺は、

さらにムビーンたちの「Take Photo」攻撃を受けることになりました。。

 

1990年代インド10 一人旅 ~デリーのツーリストキャンプ内にて~

 2001年に閉鎖したツーリストキャンプ

インドに来てから、「国営」と聞くと、なんだか安心する。

その言葉をうまいこと使ってくるインド人も多いが。

 

 

 

はたして、ツーリストキャンプ内は、おだやかな場所だった。

フェイスブックを見ると、2001年に閉鎖してしまったようだ。

www.facebook.com

 

ツーリストキャンプ内には、インド人が追っかけてこないので、町の喧騒から離れて、ほっと一息つける穏やかさがあった。

 

しかし、設備はボロボロだった。

 

チェックインを済ませ、自分の部屋がある棟へ向かっている途中、プールサイドで見かけるような簡易シャワーがあった。

 

扉はついていない。

 

そこで、けつ丸出しで頭を洗っている、欧米人の姿。

 

インドやったら、扉のないシャワーでも脱げるねんなあ、と思った。

 

 

ツーリストキャンプの部屋は、シングルベッドがようやく入るくらいの狭さ。

 

一泊、220Rs(700円程度)

やや高めの値段だ。

 

 

カベに扇風機がついている。

 

扇風機のカバーはなく、はねがむき出しだ。

 

 

回転しているときに手が触れたら、ビシッ!といかれる。

 

「危ないから」とか、いう発想はあまりない。

 

とりあえず扇風機の電源を入れる。

 

 

 

電源は?

 

は? 電源ないやんけ。

 

 

 

コンセントささってるんか?

 

コンセント、コンセント……

 

 

コンセントの先っぽに、当然ついているだろうと思われる、

「前へならえ!」したときみたいな、

二本に差し出されている「あれ」がない。

 

 

あるのは、

二本にわかれたむき出しの配線だ。

 

 

まじか。

 

 

このまま差し込むってことか。

 

コードにふれたら、すぐに抜けるし。

火事にもなりそう。

 

 

とかいう発想は、やっぱりインドではあまりないんだろう。

 

 

少しくらい危なくても、費用対効果を考えてなのか、

 

「お金かけんでも、このまんまでいけまんがなー!」という状況であれば、

 

そのまま強引につじつまをあわせてくる。

 

 

俺は、むき出しの配線を、コンセントの差込口らしき、

二つの穴に差し込んだ。

 

扇風機がまわりはじめた。

 

 

暑いしな。

 

回ってくれたら、そんでええわ。

 

だんだん、インド流になじんできてたりもする。

 

 

 

インドについて3日。

 

やっと一人になった気がする。

 

この扇風機、なんかうるさいなあ。

 

 

あっという間に時間が過ぎていく。

 

この国では、何かに追っかけられているようで、せわしい日々だ。

 

 

 

この国の人は、初めて会って何も知らない俺に、

 

「おい、ジャパニー、俺はそこら辺のインド人と違って、いい奴だぜ。」

 

と、いきなり言ってくる。

 

「俺には、日本人の友達もいてるしな、ま、他のインド人たちは悪い奴だから気をつけろよ。」

 

と、こんな調子だ。

 

 

よくもまあ、自分のことを最初からこうも褒められるもんだ。

 

こんなことを平気で言ってくる庶民の思想がどうなっているのか、少し興味がわいてくる。

 

 

 

デリーのインド人は、日本語が堪能な人が多い。

 

 

たいていのインド人が、

 

「モウカリマッカ。」

 

 

「クルクルパー。」

 

と言ってくる。

 

 

 

クルクルパーは、もはや日本語ではあまりメジャーではない。

 

 

久々に聞いたわ、その言葉。

 

くらいのレベルの日本語だが、

 

 

 

たくさんのインド人が

 

 

「クルクルパー。」

 

と言ってくる。

 

 

眉間にしわを寄せて、口上にヒゲをはやした小麦色の強面で、

 

「クルクルパー。」

 

と言ってくる。

 

 

違和感半端ない。

 

なんじゃこの世界は、俺はいったい、どこにおんねん。

 

 

という気分になる。

 

 

マンガみたいな現実がある。

 

 

俺が話しかけられて、話す気になるインド人は、

 

客観的に話ができる人だ。

 

 

 

向こうから話しかけてくる奴らはたいていが主観的、自己都合の話が多い。

 

客観的インド人は、話しかけてくる奴らの中の、1%くらいだろうか。

 

 

「お前は、アグラーに行くのか?アグラーはタージマハルだけがとりえだ。アグラーのインド人はろくな奴がいないから気をつけろ。」

 

とだけ言って去っていくような、そんなインド人は好感がもてる。

 

 

 

 

「俺はいい奴だ。」

 

とか、

 

「あいつは悪い奴だ。」

 

とかいう話題が、たいていついてくるからだ。

 

 

別に、そんな話には興味はないのに、

いつも会話がそこから始まる。

 

 

会話の始まりで、

 

「俺は信じてもいい奴だ。」

 

なんて言われて、どうやって信じれんねん。

 

どう考えても不信やろ。

 

 

 

客観的に会話ができることが、この国では大事だ。

 

この国には、そんな観点が抜け落ちてしまっているように感じるのは、なぜだろう。

 

 

会話する気になれないインド人が多い中、

 

1%の信頼できそうなインド人にも出会う。

 

それが、おもしろみかも知れんな。

 

 

インド人は、俺に

 

「日本に行きたい。」

 

としょっちゅう言ってくる。

 

「日本に行ったら豊かな暮らしができるだろう?俺も日本に行きたいんだ。連れて行ってくれ。」と。

 

初対面でもお構いなしに、お願いしてくる。

 

 

俺はいつもこう答えていた。

 

「たくさんのインドの人が、日本はリッチな国だ。と言ってくるが、日本はリッチな国ではない。セーフ(安全)な国なのだ。」

 

と。

 

たくさんの日本人が、

真面目に、こつこつと

必死に働いて、生きてきた。

 

だから、リッチになってきた国だとも思う。

 

 

みんなが信頼を抱かれるように真面目に、ビジーに生きれば、もっとこの国も経済的な豊かさが生まれるのかな。

 

とも思ったが、そこには文化や思想などの、自分たちの力だけではどうしようもないものに、とりまかれている事情もある。

 

 

だから単純に国のことを表現するのは難しい。

 

 

リッチではない、セーフな国。

 

今は、そんな一面しか言葉にできなかった。

 

 

そろそろ、あのけつ丸出しの外人さんは、シャワー終ったかな。

 

俺もシャワーを浴びに行こう。

 

 

 

あ!

 

 

俺は、インドに来て初めての風呂(シャワー)やんけ!

 

思わず足を、におってみた。

 

 

さぶいぼ出るくらい臭い。

 

インド人の迫力に負けても、足の臭さだけは負けへんわ。

 

 

ツーリストキャンプは大都市の真ん中にあるのに、

 

ほのかなオレンジの灯。

 

まわりは真っ暗やわ。

インドでパスポートを紛失。ポイントは盗難紛失証明書と戸籍謄本だ。 

このままでは、日本に帰れない! パスポートは命の次に大切です。

旅の途中で、大切なパスポートを失くしてしまったら…。

 

 

 

ここでは、「日本に帰るため」の手段について紹介します。

 

 

まず最初に、

パスポートの紛失を想定して、日本から予め持って行った方がいいものがこれだ。

◆戸籍謄本 (6カ月以内→場合によっては、faxでの送信も可能か!?)

◆写真2枚 (白黒・カラー問わず。縦4.5×横3.5センチ) 

◆パスポートのコピーか、航空券→手続きの進め方によって必要なものが異なるので、後述する。

 

 これらが、いざというときに手に入りにくい、必要書類の一部になる。

紛失や盗難が心配な人は、事前準備しておこう。

もしも持っていなくても慌てる必要はない。

大使館に行けば、相談にのってくれる。

 

◆日本大使館の所在地

 ・日本大使館 Embassy of Japan

所在地:50-G,Chanakyapuri,New Delhi 110021,India

電話:(91-11)2687-6581

Fax:(91-11)2688-5587

HP:https://www.in.emb-japan.go.jp/itprtop_ja/index.html

 

 

出国するための2つの方法

 

旅の中では、

パスポート等の貴重品は、肌身離さず持っているのが基本。

 

パスポートの管理が当然のこととは言えども、どうしてもやむを得ず

手放してしまう場面もあるだろう。

 

 

インドの旅では、

人が集まる都市部では特に警戒が必要だ。

ほんの一瞬で、物がなくなってしまうことがあるからだ。

 

 もしも、パスポートがなくなったらどうすればいいの?

 

一番の心配、

日本に帰れるのか?

 

安心してください。

日本に帰ることはできます。

 

あなたがまだ、

旅の途中なら、

他国に行くこともできます。

 

インドから出国するための、2つの手段がこれ。

①帰国のための「渡航書」 ②パスポートの再発行
期 間 期 間
書類完成後、当日or翌日 書類完成後、当日or翌日
費 用 費 用
1530Rs 10年9820Rs 5年6750Rs
日本から持って行っていた方がいいもの 日本から持って行っていた方がいいもの
①戸籍謄本(6カ月以内のもの→大使館に相談すればfaxでも代用できる可能性もある。)②写真2枚白黒カラー問わず(縦4.5㎝×横3.5㎝)③航空券④発行手数料現金 ①戸籍謄本(6カ月以内のもの→大使館に相談すればfaxでも代用できる可能性もある。)②写真2枚白黒カラー問わず(縦4.5㎝×横3.5㎝)③パスポートのコピー(及び、できればビザのコピー。)④発行手数料現金
現地警察で 現地警察で
盗難紛失届証明書(ポリスレポート) ※コピーを複数枚とっておくこと。 ※できれば「追跡証明書」の内容ももりこんでもらうよう強くお願いしたい。
大使館ですること 大使館ですること
①渡航書を出してもらう申請書 ②緊急帰国の事情説明書 ③紛失一般旅券等届出書 ①パスポートの再発行申請 5年or10年 ②紛失一般旅券等届出書
出国まであと一歩! 出国許可書の申請 ※外国人管理局(FRRO)にて手続き
①出国許可書申請 ②大使館からの事情説明の手紙(指示書) ③現地警察による追跡調査書(※先にもらった、「盗難紛失届証明書」に併記してあれば代用がきく) ④個人的に出国したい旨を書いた手紙

 

 

 

 

①とりあえず、日本に帰国するだけの場合は

 「帰国のための渡航書」を取得する。

 

②この先も旅を続ける、あるいはパスポートを再発行したい場合は

「パスポートの再発行」手続きをする。

 

ことになります。

 

 

いずれの場合にも、

①or②それらの申請手続き→大使館・領事館にて

 

さらに

③出国許可証の申請手続き→外国人管理局にて

の2ヶ所での手続きが、必要となる。

 

さらに、

④警察にも行く必要、と

 

人によっては、

⑤海外傷害保険の保険料の申請手続き

もあり、手続きは煩雑だ。

 

 

それでも、1990年代には、

①や②の手続きには「数週間」が必要だったが、

 

近年は、書類さえあれば、

当日、または翌日の発行も可能となっており、事務手続きは、かなり高速化している。

 

以下、それぞれの手続きについてみていきたい。

 

 

 

 

 

帰国のための「渡航書」とは

 

 とりあえず、なにはさておき、「日本に帰国する」ための手続きだ。

 

日本帰国するために、一度だけ使用できる渡航許可だ。

 

この「渡航書」の効力は抜群なので、渡航許可が、発行されてからパスポートが見つかっても、そのパスポートは一切使うことができない。

「帰国のための渡航書」は、パスポートも必要としない、緊急で日本帰国するための、最終手段である。

 

その手続きは、

①紛失一般旅券等届出書@大使館にて

(私、パスポートなくしてもて持ってませんねん。という申請。これを申請すると、パスポートの効力は無くなる。)

 

②渡航書発給申請書@大使館にて

(パスポート無いけど、日本に帰国させて欲しいので、渡航書ください。という申請。) 

③紛失・盗難・その他被害届@大使館にて

(こんな被害に遭いました。助けてください。という申し出。)

 

以上が大使館での手続きだが、警察にも行かなければならない。

 

④警察発行の盗難・紛失届証明書@現地警察にて

(パスポートがなくなった公的な証明書類)

この書類は、簡単に大使館で手に入るものではないので、重要だし、手間もかかる。

インドの現地警察に動いてもらわなければもらえない。

すぐに発行してくれる警察もいるが、その日のうちに発行せず、しばらく探すように言われる場合もある。

何とかお願いして、迅速に手にいれたいものだ。

 

ちなみに、「パスポートを無くした」という事実は変わらないので、発行をお願いする警察は、大使館や領事館の近くの警察がいいかも知れない。

(パスポート以外のものの盗難・紛失届は、どこの警察でもいいが。)

 

場合によっては、その警察に何度か足を運ばなければならないからだ。

大使館近くの警察に申し出るときは、無くした場所もできるだけ、その付近にする方がいい。

 

正直に遠くでなくしたと言うと、「現地に行って頼め」と言われかねない。警察ごとの管轄を主張されて余計な手間がかかる可能性があるからだ。

 

さらに、この書類は、

 

必ず複数枚コピーを取っておこう。

あとあと、保険の申請などで、求められることがあるからだ。

※2度手にいれることは不可能に近いだろう。

さらに、この書類をもらうときのテクニックとして、

「盗難・紛失届証明書」の内容だけではなく、

 

★「追跡証明書(紛失したものを追跡調査して探してんけど、全然みつかりませんねん。という旨)」の内容を盛り込んでおいた方がいい。

 

あとで、外国人管理局に行ったときに、

「追跡証明書」が改めて必要になる場合があるから。

可能ならば、代用がきくような状態で仕上げておいた方がいいだろう。

特別に決まった書式がない場合も多いので、書類に2種類の内容を盛り込むことは難しくはないはずだ。

 

しかし、難しいのは、インド警察との交渉。

インド警察はすぐに「OK」とうなずいてくれることは少ないだろうから、ホテルスタッフ等の現地で仲良くなった人の助けを借りた方がいいかも知れない。

 

 

そして最後に必要にものが、

日本で準備しておいた方がいいと前述した、

 

⑤写真2枚(6ヶ月以内のもの)

⑥戸籍謄本(または抄本)

⑦航空券

と、

⑧緊急で帰国しなければならない事情説明

 だ。

 

どうしても書類がそろわない場合は、大使館で相談することができるので、まずは大使館へ行ってみよう!

 

以上が、「帰国のための渡航書」の申請方法だ。

それが、完了したら、

次は「出国許可書」を申請しなければならないが、これについては、後述する。

 

 

 パスポートの再発行の手続きを申請する場合は、

 次にパスポートの再発行申請をする場合。

 

 

この手続きの場合も、なにはともあれ大使館へ行こう。

 

 必要な手続きは

①紛失一般旅券等届出書@大使館にて

(私、パスポートなくしてもて持ってませんねん。という申請。これを申請すると、パスポートの効力は無くなる。)

 

②パスポートの再発行申請書@大使館にて

(パスポートがなくなったので、新しいパスポートを発行してほしいねん。という申請)

 

そして、日本から用意してきておいた

③写真2枚(6ヶ月以内のもの)

④戸籍謄本(または抄本)

⑤パスポートのコピーとビザのコピー

だ。

 

さらに、 

パスポートの再発行手続きの場合でも、

⑥警察発行の盗難・紛失届証明書@現地警察にて

(パスポートがなくなった公的な証明書類)が必要となる。

 

この書類の注意点は、

「帰国のための「渡航書」の手続きで記したとおりである。

要領よく、取得したい書類だ。

 

これらの書類がそろいさえすれば、

早ければ当日中にパスポートが再発行される。

 

費用は5年6750Rs  10年9820Rsとなっている。

 

 

 

さいごの申請が「出国許可書申請」だ

・帰国のための「渡航書」か

・パスポートの再発行が整えば、インド出国まであと一歩。 

 

さいごに、必要なのが、

「出国許可書申請」は@外国人管理局(外国人登録事務局)にて行う

の申請だ。

 

インドに入国した際、

査証の発行により、インド国内に入国を許された外国人だ、

という登録が残っている。

 

紛失前のパスポートにその記録が残っているが、

パスポートがなくなっているので、

わざわざその登録を抹消する手続きをしなければならないのだ。

 

査証の記録を抹消することで、「私は出国します。」という意思表示にもなる。

 

 

 

「出国許可書」は「外国人登録事務局」というところで申請する。

 

しかし、この「外国人登録事務局」はいろいろなネーミングがついていて、ややこしい場合がある。ときに、「FRRO(Foreigner Regional Registration Office)」と称される場合もある。日本では、2019年4月から「入国管理局」が、新たに「出入国在留管理庁」という名前に改められ、同様の手続きを行っている。

 

日本の出国手続きは、外国人の出国を的確に把握するための手続きであり、出国自体を規制するためのものではない、となっているので、インドでも本質的には同じはずだが、インド人特有のもっていきかたがあるので、少し手間取ることを予想しておきたいところ。(日数や時間、書類の不足などを、担当者の気分によって指摘してんちゃうんか、と思うこともあるだろうが、余裕を持って。気長に取り組むしかない。)

 

 

◆デリー外国人登録事務局(Foreigner Regional Registration Office)の所在地

・デリー外国人登録事務局

所在地:East Block-8, Level-2, Sector-1, R.K. Puram New Delhi-110066

電話:(91-11)2671-1384

E-mail:boihq@mha.nic.in

受付時間:9:30-15:00

基本的に、インド四大都市では、各都市の警察本部の中にFRROが所在しているので、一度問い合わせてみるか、足を運んでみるといいだろう。

 

「出国許可証」のための申請手続きには、

①出国許可証の申請書

②日本大使館からの事情説明の手紙

③パスポートや帰国のための「渡航書」の発行のときに警察で発行された「盗難・紛失届証明書」※これは、特別な書式がないので、備考として「追跡証明書」(パスポートを紛失して、ずいぶん探したんだけどいまだに見つかってないんだよという旨)の内容を盛り込んでおくと、FRROでの手続きに同じものが使える可能性が高い。※何度も言うが、警察から出してもらった証明書は必ずコピーをとっておくこと。よっぽどでないと、インド警察は、二度と同じ書類は出してくれないと思っておくこと。

④さらに、念のため自分自身で書いた帰国させてほしい旨を書いた手紙(まあ、上申書のようなもの)

を用意して行くといいだろう。

 

以上を用意して手続きを進めよう。

 

 

もし、入国した地点がデリーだったら、

デリーのFRROでは、手続きがスムーズに進む可能性がある。

デリーに、入国外国人の登録情報があるからだ。

 

逆に、他の地点から入国して、デリーで申請する場合でも

登録情報は照合できるが、

やや日数がかかる可能性があるので、ここでも少し余裕を持って待とう。

 

 

必ず帰国できるので、無事の帰国を待っています。

 

 

亜太郎

 

~興味深いインドの神様~

インドの神様から感じるヒンドゥーの教え

 

 

インドでは、町を歩くといろいろな神様に遭遇する。

 

お寺だけでなく、

レストランやショップ、乗り物の中、

もちろん、庶民の家の中でも。

 

いろいろな場でインドの人々は、神を信仰し、神とともに生きている。

 

神はインドの人々の、

英雄であり、

学問や富や美を願う人々の象徴として君臨する。

インドで神様にあうと、しばし手を合わせる。

 

インドの人々の暮らしに密接に存在する神。

 

そんな中で興味ある二人の神様。

 

まず一人目。

 

「ブラフマー神」

宇宙の創造神。

すべての生物、宇宙全体を創ったとされる。

シヴァ神。ヴィシヌ神。とともに三神。

すごい神様。

神様の中でも、人気があるとか、人気がないとかあるらしい。

ブラフマーは、古代の聖典の中では、礼賛されているが。

現代では、シヴァ神やヴィシュヌ神が崇拝されているのか。

 

宇宙を創った神様だけあって、その姿があまり残っていない。

宇宙より先に存在しているんだから、そうかも知れない。

 

でもいくつか、存在しているブラフマー神の姿。

顔が4つある。

最高では5つの顔があったようだ。

 

顔が多い理由は、自分の大事な人を見つけやすくするためだとか。

 

いい神様だと思う。

 

あまり姿の残っていない、ブラフマー神を描いてみた。

 

f:id:Asiax-kun:20190623070504j:plain

ブラフマー神を描いてみた。 東西南北に向く四つの顔。四本の手には、知識や創造を象徴するものを持つ。

そして二人目の神様が、

「ガネーシャ神」だ。

顔が象、体が人間という、有名な神様。

ガネーシャ神は、

「富」と「学問」の神様で、除災除厄、現世利益をもたらすという。

 

ガネーシャ神は、あることから父の怒りにふれ、

顔が象になったが。

この象の顔も、牙が一本折れている。

その折れている理由も、いろいろな言い伝えがある。

 

どの神様にも言い伝えがある。

そう、

インドの神様にまつわる、さまざまな伝説が興味深い。

 

そして、

その神の言い伝えを知っていくと、

 

少しずつ、

ヒンドゥー教の教えに近づいていくことができる。

 

ヒンドゥーの思想がインドの原風景の思想。

いまも脈々と続く。

そう思うと

自然と神に手を合わせてしまう。

 

ガネーシャ神の話にもどるが。

この象の顔を持つ神様。

乗り物は、ネズミだとされる。

ガネーシャ神の近くには、

いつもネズミが一匹、

神様の様子を見守っている。

 

これが、

「富と学問の神様」

f:id:Asiax-kun:20190623072721j:plain

象の乗り物がネズミだとされる。そんな言い伝えも、ヒンドゥーの教えを感じさせてくれる。

 

1990年代インド9 一人旅 ~インド庶民の暮らし~


インドの庶民の暮らしなのだろうか?

 

 

インドの耳かき屋ムビーン(仮名)の家

 

首都デリーとゆうこともあって、そんなに大きい邸宅をイメージしていた訳ではない。

 

訳ではないが、小さい。

小さいし、物がほとんどない。

物は少ないが、人は多い。

 

家は、コンノートプレイスから、オートリクシャで15分くらい走ったところにある。

まわりは、大きな病院があるが、庶民の暮らしはひっそりとしている。

小さな家が、ひしめきあっている。

一帯が、豊かな生活とは言えない。



どうやって暮らしているんだろう。

 

家は、通りに面しておらず、

家と家の間の小道を入っていった奥にある。

 

小道の幅は、どんどん狭くなり、ムビーンの家の入り口辺りまで来ると、その幅、約80センチほどか?

 

家に入るとすぐ、

そこがリビング兼寝室だ。

広さは、広く見ても、六畳ほどだろうか。

 

ムビーンは、快く招き入れてくれた。

とりあえず、入り口あたりに靴を脱いで入った。

 

入ってすぐに、かけ布団だけで、人が寝ている。

ムビーンの子どものようだ。

ムビーンの家族は、

どこまでが家族なのかわからない。

 

同い年くらいの何人かの、少年たちもいる。

友達だろうか?

ご近所さんか?

不明だ。

 

おじいさんか、おじさんか、ご近所さんか?よくわからない人も黙って座っている。

ムビーンに、紹介されたが、つながりはあまりよくわからなかった。

 

不思議な空間だ。

謎だらけだ。

暗くなってきたので、家の中はオレンジ色の照明がつけられている。

 

ムビーンは、いったい耳かき掃除で何人養ってるんだろうか。

 

ムビーンと、パプーは英語が話せるが、

その他の人は、英語が通じない。

 

ムビーンの家では、

外の往来のように、積極的にガンガン話しかけてくる人はいない。

 

そのかわりに、

「Take photo!」

と、ムビーンや子どもらに、ひっきりなしにせがまれる。

「One more. One more.」

撮影会が続く。



俺は、旅の記録は目に焼き付けよう、と思うタイプだったので、

使い捨てカメラ一個しか持ってきてなかった。

 

フィルムが、あまり無いんよなぁ~

と思いながらも、

ムビーンや、

子どもたちの、願いを聞いていた。

 

何枚か撮影すると、今度は服を着替えてくる、と言って、

子どもらは、おめかしをした。

 

むちゃくちゃ気合い入った姿で出てきた。

サングラスまで、かけている。

f:id:Asiax-kun:20190622085756j:plain

写真を撮るためにお着替え、靴まで@ナイス☆




 

俺は写真を撮る。

子どもらが喜ぶ。

 

本当に写真が好きなようだ。

自分の姿を撮ってもらうことを、これほど喜んでくれるとは。

 

ムビーンの家に来て、

何時間か経った。

 

ムビーンは、夕食を出してくれる、と言っていたが、いつできるのだろうか。

 

そもそも、キッチンは無い。

 

どこで作ってるだろう。

 

家の外の小道で、

火を炊き、何やら作っているようだ。

 

たぶん、カレーだ。

 

家の中に、コンロや、水道があるわけではない。

小道で、火をおこし、水道も小道にある。

地面から、30~50センチほどの高さに蛇口がついている。

洗い物も、そこでしている。

 

地べたにしゃがみこんで、奥さんらしき人が作っているようだ。

 

食事は、いつ出てくるかわからない。

時間がかかりそうだった。

 

俺は、日本に電話をするために、公衆電話の場所を聞いた。

 

どうやら、家の裏に、「電話屋」があるらしい。

 

そう、この頃のインドには、

電話屋がある。

 

f:id:Asiax-kun:20190622090226j:plain

電話屋@デリー

電話屋は、かけたいところに、電話をつないでくれるのだ。

インドには、電話は当たり前に設置されていない。

首都デリーでも、庶民の暮らしには、電話はなかった。

 

電話屋で、日本の自宅に電話をつないでもらい、家族に無事をつげた。

家族は、心配しているようで、母の声は、あまり出なくなっていた。

日本まで、数分の電話で、200Rsほど、約700円くらいだった。

 

電話を終えて、ムビーンの家に戻ると、

やっと食事ができた、と言う。

 

鍋の中に、オレンジ色に光っているカレー、具は何やらわからないが、量だけはたくさんあった。

カレーの横には、チャパティだろう。

 

料理の品数は、さほどない。

 

しかし、生活の水準はしんどいかも知れない耳かき屋のおっさんが、

「さぁ、食え。」

と、気前よくふるまってくれる姿に、遠慮なく頂いた。

 

実は、最初は、遠慮していた。

 

裕福とは見えない生活。

外国人の

俺までごちそうになっていいのだろうか、と。

 

みんなが、むさぼるように食べ始めた。

子どももムビーンもがっつくように、食べている。

 

俺も、頂いた。

 

カレーはスパイスのきいた辛いものだが、

外の店で食べるものとは、比べ物にならんくらい旨いインドカレーだ。

 

これが、家庭のインドカレーか。

 

みんなが、がっついて食べているのもわかる。

鍋の中から、カレーをすくいとり、かわるがわる食べる。

そして、焼いたチキンのようなものがあった。

チキンティッカだと思う。

 

このティッカ、

カレー以上に旨かった。

 

大人数で食べているので、

遠慮したが、

何本か食べた。

 

このティッカを越えるインド料理は、この先の旅では、無かったくらいだ。

 

夕食のあと、

ムビーンが、やっぱり泊めるのは無理だ、と言う。

俺もそう思う。

そら家に入りきらんわ。

 

布団も、一枚か二枚しかない。

 

俺は、ムビーンたちの勧めてくれたホステルへ行った。

 

そこは、国営のツーリストキャンプだった。

 

インドで価値観が変わる理由

 

いろんなところで聞く。

 

「インドに行くと価値観が変わるよ。」と。

 

本当に価値観が変わるのか。

実証したくてインドに行った一面もある。

 

なぜ、価値観が変わるのか。

なぜ、それが、インドなのか。

 

旅の経験から、一考察。



日本の表とインドの表

まず、インドと日本は、

全然違う文化、習慣、経済情勢、人、であるということがある。

 

 

日本で「常識」と思っていることは、インドでは「非常識」だったり、

 

日本で、「非常識」なことが、インドでは「常識」だったりする。

 

このことがまず、

価値観を、それまで学んできた自分の経験や考え方を、

ぐらぐらと揺さぶってくる。



遠慮の国と、本能の国

そんなものは、

日本人同士でもあるじゃないか、

と思う人もいるかも知れないが。

 

 

たとえば、

 

日本人は、人とのコミュニケーションで、

 

「遠慮」を美徳とし、

 

相手の気持ちは、お互いに「察する」、

 

思ったことも、口に出さず遠回しな言い方をする。

 

そして、相手は、またそれを察する。

 

とゆうやり方をしているが、

 

インドの人のコミュニケーションは、やや違う。

日本の、「遠慮」にあたる言葉はないのではないだろうか。

 

 

とにかく、思ったことはどんどん口に出す。

 

欲しいものはとっても欲しい、

 

好きなものは大大大好き。

 

 

なんとも、はっきりしている。

 

邪魔なものはめっちゃ邪魔と感じ。

 

きれいなものは、その興奮がやまないほどにきれいに感じる。

大声で叫びだすくらいに、感動もする。

 

明快な人たちだ。

 

だけど、その壮絶な明快さが、

 

普段、

奥ゆかしさや、

慎ましさや、

慮り、

を良しとしている我々から見ると、

 

びっくりするくらい価値観を揺さぶられる。

 

あれれ、自分の思いが伝わらない?

自分だけ感覚が変なのか?

ぼくが、こうしたいと思ってるのは、

見たらわかるだろー!

と言いたい。

 

が、そんなことはおかまいなし。

 

当たり前が当たり前じゃない

日本という国は

物質的に豊かだと思う。

 

欲しいものは、上質な状態で手に入れることができる。

 

インフラも整備されていて、

 

国土の広さの違いもあるだろうが、

 

日本では、何事もドメスティックな状態が

 

安心感にもつながっている気がする。

 

 

インドでは、

 

そんな安心感はなさそうだ。

 

目の前に起きている現実に、

 

しっかりと向き合っている気がする。

 

日本人は、「何のために生きているの?」

と聞かれたら、何と答えるだろう?

 

インド人は、同じ質問をされると、

「生きるために、生きている。」

 

と、しっかり答えそうな気がする。

 

というか、

言わなくても、そう見える。

 

なぜか、物質的に豊かとは感じないのに、

 

目の輝きが強く、クリアーで、

活力を感じる。

 

不思議なパワーをもっている。

 

 

当たり前が当たり前ではないというのは、

 

子どもたちを見ると、さらにはっきりとわかる。

 

日本の子どもは親から

勉強する道具くらいは、何もいわずとも与えられる。

 

インドの子どもは

勉強道具すら、満足に与えられないようだ。

 

えんぴつなどの文房具類。

あげると、インドの子どもたちはとても喜ぶ。

 

幼年時代から、

価値観の違いが、育てられてきているのだろう。

 

文房具は、

インドの子どもたちにいろいろあげた。

 

その喜ぶ顔は、

まぶしいものだ。

 

子どもの喜ぶ顔は宝だ。

 

写真。

インドの子どもは、写真を撮ってもらうことを

すごく好む。

 

カメラを持つと、すぐにたくさんの子どもたちが寄ってくる。

 

なかには、

いい服に着替えて、写真を撮ってもらおうとする子どももいる。

 

日本では、

その姿は想像しがたい。

 

今、身の回りで当たり前と感じていることは、

世界の常識ではないということが、

インドでは見えてくる。

 

屋根も壁もない家に住んでいる人も世界にはいる。

 

みんなが生きるために生きていると思う。

 

日本人もそうだ。

 

国によって、生き方の

アプローチが違うだけだ。

 

それぞれの国の生きるスタイルを尊重しながら、

人について勉強させてもらっている。

 

インドを旅する人は、

旅の中で学び、

 

「人とは何か」

ということを、こっそり独りで、自問自答しているんだろう。

 

だから、自分の価値観が変容してくるんだろう。

 

 

 

インドで、一ヶ月ほど過ごすと。

 

見えるものが少しずつ変わってくる。

 

インドでは、学歴があるのは、一部の人。

 

あとは、生まれながらにして、自分の人生が決まっている。

 

日本よりも、その「さだめ」を大きく背負って生きている。

 

だからと言って、不幸ではない。

そんな様子は感じさせない。

 

エネルギーがあり、バイタリティーにあふれている。

 

日本人の価値観を揺さぶってくるには、

十分なことが、日々やってくる。

 

 

あっと、ひとつだけ補足するが。

 

インドでコミュニケーションを積極的にするのは、男性である。

インドの旅で登場するのは、男性がほとんど。

だから、価値観に影響を与えるのは大半が男性だ。

 

インドの女性は、また違った感覚があるだろうと思う。 

 

 

インド人は、

日本人と接して、価値観が変わらないのだろうか?

と思う。

 

価値観が変わることを、

日本人だけが、感じてることだとしたら、

これまた、

相手を「察する」力を発揮しているなあ、と

しみじみ感じる。

 

亜太郎

 

Copyright©2019 AsiAtaro.Allright Reserved.